北九州市環境ミュージアムの隣に、白い巨大な溶鉱炉が保存されている。
その場所に1901年官営八幡製鐵所の最初の溶鉱炉が建てられた。溶鉱炉はほぼ10年毎に改修を繰り返すので1901年当時の姿はとどめてないため世界遺産の対象ではないが、製鐵所にとっては心臓部にあたる重要な設備であることは間違いない。
筑豊炭田の豊富な石炭を利用して製鐵所が建設され、鉄鋼、セメント、化学という重要産業が発展、明治時代から戦後の国土復興を経て、国の発展に大きな貢献をしてきた。
一方で、鉄鋼、セメント、化学工業や発電所は、たくさんのばい煙や排水を排出する産業であり、北九州地域は深刻な公害を経験した。
洞海湾は「死の海」となり、空は「七色の煙」でおおわれていた。
30年ほど前まで、北九州市は「公害の街」、「灰色の街」と呼ばれ、市民の間でも「住みたくない街」と言われていた。現在では「環境先進都市」として国内外に知られ、SDGsモデル都市として世界をリードしている。
この間に誰がどのように努力してきたのかを伝えたい。歴史を学ぶことでSDGsの未来が見えてくる。