「七色の煙」が自慢だったって!

 北九州市は、明治時代に八幡製鐵所ができてから、日本の発展を支えてきた街。1960年代になると、製鉄所の他にもいろいろな化学工場、食品工場が集まって「北九州工業地帯」と呼ばれたんだ。工場では休むことなく機械が動き、煙突からはモクモクといろんな色の煙が出ていたんだ。当時の人たちは、元気で活気に満ちた街を誇りに思って、工場の煙を「七色の煙」と呼んで自慢し、絵はがきにしたり市の歌や校歌の歌詞に取り入れたりしたんだって。 

 でも、実はその煙は人々の健康をおびやかすものだった。煙と一緒に煙突から出てくるす(・)す(・)の量は日本一になり、ぜんそくなどの病気になる人もたくさんいたよ。そんな「公害」から家族の健康を守るために立ち上がったのは、戸畑の主婦の人たちだった。「青空が欲しい」を合言葉に、空気や水の汚れについて調査して、市役所に「煙を減らしてほしい」などと働きかけたんだ。それをきっかけに工場も市役所も頑張って、長い年月をかけて公害を少しずつ減らしていったんだよ。 

その結果、北九州市の空がきれいになったことを国に認められて1988年には北九州市で「第1回星空の街・あおぞらの街サミット」を開催するほどになり、今では世界一の環境に配慮した街「世界の環境首都」を目指しているよ。 

 昔は空を覆う煙が自慢だったけど、今では星空を取り戻した北九州市。そんな北九州市の移り変わりの歴史をもっと知りたいなら、環境ミュージアムの第2ゾーンへどうぞ!