「青い空」を取り戻した

 八幡、戸畑、若松など洞海湾周辺の人々にとって、工場から出る煙が〝自慢〟だった時代は、明治時代から昭和後期まで続きました。 

旧戸畑市歌には「黒煙は天にみなぎり」、旧八幡市歌には「煙もうもう天にみなぎる」とあります。また八幡の高校の校歌にも「五色の煙」「八幡の煙」などの歌詞が織り込まれていました。北九州市の空を覆う煙は「北九州工業地帯」発展の象徴となっていたのです。 

当時の降下煤塵量は最大108t/㎢/月(1965年)と日本一を記録しました。それが現在は2.9t/㎢/月(2018年)と、驚異的な減少率を実現しています。主婦たちが求めた「青い空」は見事に実現しました。 

当時の子どもたちが描く絵は、空を灰色か黒っぽく塗られていたとか。それが今では、世界に誇れる「青さ」を取り戻したことが、「青空が欲しい」運動が語り継がれる所以です。