よみがえった「奇跡の海」

 明治時代以降、工業地帯として発展した洞海湾周辺には、次々と各種工場が進出しましたが、排水処理設備を持たない工場からの汚水は未処理のまま洞海湾に垂れ流しでした。さらに家庭からの下水も流され、長年の間に有毒物質が蓄積し、湾内の漁業は昭和初め頃には衰退しました。大小1000を超える工場が操業し、一日400万トンもの排水が流れ込んでいた1970年頃には、魚どころか大腸菌さえ死滅する「死の海」として全国に知られました。洞海湾の水質改善対策が始まったのはその頃です。 

 洞海湾における水質改善策は、工場排水の規制・湾内のヘドロ除去・下水道整備を中心に進められました。1969年の市の調査では、水質汚染の指標値が48.4mg/ℓという環境基準を大きく上回る数字を記録し「もはや海とは呼べない」とまで言われましたが、今ではそのデータも3.0mg/ℓを下回っています。 

この洞海湾の水質改善の歴史は「奇跡の復活」とも呼ばれており、市民・企業・行政が連携して公害を克服した「北九州方式」は世界的にも評価されています。